※本記事はYouTube動画「なぜ『水』が次の戦争の原因になるのか?」の内容をもとに構成しています。
目次
結論:21世紀の戦争は「水」を巡って起きる。その理由は“代替不可能性”と“地域限定性”
20世紀の戦争が石油を巡って繰り広げられたように、21世紀は**「水」こそが国家間の争いの火種**になると世界銀行の元副総裁イスマイル・セラゲルディン氏は警告しました。
水は生命の維持・農業・産業すべての基盤でありながら、代替手段がなく、かつ長距離輸送が困難という点で、石油とは本質的に異なります。そして現在、その「水」を巡る争いがすでに世界中で静かに進行しています。
古代文明と水の関係:文明の栄枯盛衰は水の管理能力に依存していた
- メソポタミア、エジプト、インダスなどの古代文明は、いずれも河川の水管理によって農業と人口の繁栄を実現しました。
- しかし、水に依存した都市や社会構造は気候変動や技術的限界によって崩壊の道を辿ります。
例えば:
- インダス文明:サラスワティ川の枯渇により都市を放棄。
- 西ローマ帝国:水道橋に頼る構造が崩れ、外的要因による都市機能の喪失を招く。
これらの歴史が教えるのは、「水管理の成功」が「文明の弱点」にもなりうるという事実です。
産業革命以降の水問題:衛生・汚染・大規模ダムの光と影
- 19世紀ロンドン:テムズ川の水質汚染が感染症を引き起こし、上下水道システムの必要性が明確に。
- 20世紀:フーバーダムを代表とする巨大ダム建設ブームが経済成長を支えた一方で、住民追放や生態系の破壊をもたらした。
- 推定4000万人~8000万人が住み慣れた土地を追われたという報告も。
これらの事例は、水の確保が技術だけでなく政治・社会のガバナンスと密接に関わっていることを示しています。
現代の水危機:気候変動と水の「不正義」
IPCCの警告
- 地球温暖化が水循環を乱し、降水の偏りを拡大。
- 「濡れた場所はより濡れ、乾いた場所はより乾く」
- 実際に世界中で洪水・干ばつが頻発しており、その被害は脆弱な国や地域に偏在。
極度の水ストレス状態
- 世界資源研究所(WRI)によると、**世界人口の約25%(20億人)**が年間を通じて利用可能な水を使い切るほどの危機的状況。
水を巡る地政学的対立:インド vs パキスタン、エチオピア vs エジプト
インダス川水争い(インド・パキスタン)
- 両国はカシミール地方の領有権と水源を巡って長年対立。
- 1960年にインダス水条約を締結し、6つの河川を分配(東3本はインド、西3本はパキスタン)。
- しかし近年、インドが上流にダムを建設し、水の供給コントロールを懸念するパキスタンが強く反発。
- 「血と水は共に流せない」という発言で、条約破棄の可能性も浮上。
ナイル川の争い(エチオピア・エジプト)
- ナイル川の上流はエチオピア、下流はエジプト。
- エチオピアの「大ルネサンスダム」建設が水流を変える可能性を持ち、エジプトが激しく反発。
- 両国の歴史的な“誇り”が衝突する構図。
チグリス・ユーフラテス問題(トルコ・シリア・イラク)
- トルコのダム建設が、下流域の農業と生活に壊滅的打撃を与えるという事例も。
水の兵器化:水インフラを攻撃する「環境兵器」という現実
- ウクライナ(2023年):南部のダムが破壊され、広範囲に洪水。
- イスラム国(IS):ダムを支配し、洪水や断水を戦略的に利用。
水が戦争の道具になってしまうという現実は、すでに「未来の話」ではなく、今まさに起きている事態です。
解決に向けた3つのアプローチ
1. テクノロジー:新たな水源の創出
- イスラエル:海水淡水化+下水の再利用率 約90%(世界1位)
- シンガポール:「ニューウォーター」戦略で高度浄水による再利用
課題:エネルギー消費、コスト、塩分廃棄(ブライン)の処理
2. 経済:水の市場化
- オーストラリアの水利権取引制度:水を使う権利を売買する「水市場」が存在
- 効率的だが、情報格差や資本力により小規模農家が不利になる懸念
3. 社会制度・人権:水へのアクセスを基本的人権に
- 国連は2010年、水へのアクセスを人権とする決議を採択
- 貧困や社会的弱者にも水を公平に届ける制度設計が今後の焦点
水問題は複合危機(ポリクライシス)の縮図
水は:
- 気候変動
- 食料危機
- エネルギー問題
- 地政学的対立
- 人権問題
これらすべてが絡み合う最も本質的で深刻なテーマです。
まとめ:次の戦争は「水」で始まるかもしれない。しかし、回避の道もある
水の危機はすでに世界中で進行中です。しかし同時に、テクノロジーの革新、制度の進化、人類の倫理的な気づきによって未来は変えられる可能性もあります。
今私たちにできる最初の一歩は、この現実を知ること、学ぶこと、話すこと。
そして、どんな未来を選ぶかを考えることです。
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