ソロスの“空売り”がイギリスを変えた日――固定相場制の崩壊と、為替相場の教訓

※本記事はYouTube動画「その時、為替は動いた!『ブラックウェンズデー』の衝撃。ソロスは何を見たのか?」の内容を基に作成しています。


1992年9月16日、イギリスは為替の歴史に残る大事件「ブラックウェンズデー(暗黒の水曜日)」を迎えました。この日、ポンドは急落し、イギリス政府は欧州為替相場メカニズム(ERM)からの脱退を余儀なくされました。

仕掛けたのは、世界的な投資家ジョージ・ソロス

彼は10億ドル以上の利益を上げ、「イングランド銀行を潰した男」と呼ばれることになります。

この事件は、市場の力が政府の意志を上回る瞬間を示した歴史的な一例であり、為替制度や金融政策の本質を問い直す機会ともなりました。


目次

1. ブラックウェンズデーの概要

  • 発生日時:1992年9月16日(水)
  • 発生内容:イギリス・ポンドが暴落し、ERMを離脱
  • きっかけ:イギリス経済の低迷とERMの維持困難、ソロスらによる大規模空売り
  • 結果:ポンドは1.9ドル台から一時1.4ドル台に急落、約25%の下落

2. ERMとは?イギリスはなぜ参加したのか

ERM(欧州為替相場メカニズム)は、各国の通貨を一定の範囲内で安定させるための制度。ユーロ導入の前段階として設けられました。

  • 中心通貨:ドイツマルク(当時)
  • 変動幅:±2.25%(のちに15%へ拡大)

イギリスは1990年に参加しましたが、高いインフレと経済低迷の中でポンドの防衛は極めて困難でした。


3. ソロスの戦略:情報と資金、そして「確信」

ソロスが見抜いたポイント

  • イギリス経済の根本的な弱さ(インフレ、成長鈍化、財政赤字)
  • ドイツとの金利差(ドイツは高金利、イギリスは引き上げに耐えられない)
  • 政治的な硬直(ERM維持に固執するイギリス政府)

実行された手法

  • 100億ドル規模の空売り
  • レバレッジを最大限活用
  • タイミングを見極め、他の投資家の追随を呼ぶ「マーケットインパクト戦略」

4. イギリス政府の対応とその失敗

政府はポンド防衛のために次の手を打ちましたが、全て失敗に終わります。

対応策内容結果
市場介入外貨準備を使ってポンドを買い支え無力(準備枯渇)
利上げ政策金利を10%→12%→15%と引き上げ景気後退懸念で逆効果
発言介入「防衛に自信あり」と公式発表市場は信じず、売りが加速

ソロスらの攻撃に耐えきれず、イギリスは午後7時に敗北を宣言し、ERMを離脱


5. 事件後の経済への影響と「光と影」

【短期的影響】

  • ポンド暴落(約25%下落)
  • 輸入物価上昇 → インフレ加速
  • 金利上昇 → 住宅ローン破綻、企業倒産
  • 失業率10%超え、社会不安の増加

【中長期的影響】

  • ポンド安による輸出競争力の回復
  • 独自の金融政策 → 金利引き下げで景気刺激
  • サッチャー以降の構造改革が実を結び、1994年以降、イギリス経済はV字回復

6. ソロスは何を見ていたのか?

ソロスの成功は、単なる投資判断ではなく以下の戦略に基づいていました。

  1. 徹底した情報分析と準備
  2. マーケットの心理を読んだタイミング戦略
  3. メディア戦略による世論誘導
  4. 政治と経済の乖離を見抜いた投機的判断

ソロスはただのトレーダーではなく、市場の構造に対する鋭い洞察と政治的な弱点を見極める能力を持つ戦略家だったのです。


7. 為替制度への教訓とヨーロッパへの影響

ブラックウェンズデーの教訓:

  • 固定相場制の限界
  • 政府の政策決定が市場に通用しない時代の到来
  • 柔軟な為替制度の必要性

この事件はその後、ERMの変動幅拡大(2.25%→15%)をもたらし、やがてはユーロ導入(1999年)への道筋を開くこととなります。


8. まとめ:ブラックウェンズデーはなぜ語り継がれるのか

ブラックウェンズデーは単なる「通貨危機」ではなく、市場と政府の激突、その敗北、そして経済構造の転換を象徴する出来事でした。

  • 一投資家が国家を打ち負かした日
  • ヘッジファンドの力を世界に示した日
  • 為替制度の未来を変えた日

歴史を変えた為替の1日として、ブラックウェンズデーはこれからも語り継がれていくでしょう。

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