第一次世界大戦の始まりから終わりまでについて解説した動画です。
今から100年以上前の戦争ではありますが、現在のわれわれに与える影響が非常に大きいのは間違いありません。
以下に動画のまとめ、及び重要なポイントについて記載していきます。
1914年の悲劇:世界を巻き込んだ戦争の始まり
1914年、世界はこれまでの歴史の中で最も大規模で悲惨な戦争を引き起こしました。
この戦争、第一次世界大戦は、ヨーロッパを中心に世界中の多くの国々を巻き込みました。
特に戦場となったのはヨーロッパで、そのきっかけを作ったのは当時最強の軍事力を誇っていたドイツ帝国と、長年敵対していたフランス共和国でした。
この戦争では、犠牲者が1600万人にも及びます。
なぜ人類はこんな愚かな戦争を始めてしまったのでしょうか?この記事では、第一次世界大戦がなぜ起こったのか、その背景について見ていきたいと思います。
19世紀のナショナリズムと帝国の興亡
19世紀、ヨーロッパではナショナリズムという国家の発展を第一とする思想が盛り上がり、いくつもの巨大な帝国が誕生しました。
その中でも特に激しく対立していたのがフランスとドイツです。
フランスは19世紀前半、英雄ナポレオンの時代に最大勢力を誇り、ドイツを圧倒していましたが、その後19世紀後半には、鉄血宰相ビスマルク率いるドイツが最強時代を迎え、フランスに対してその猛威を振るいました。
産業革命と市場の奪い合い
この時期、イギリスでは産業革命が起こり、衣類から軍事用品まであらゆるものが大量に生産されるようになりました。
これにより経済発展が一気に広がりましたが、同時に市場の奪い合いも激化しました。
フランスとドイツの対立もこの影響でさらに激しくなりました。
軍事同盟と三国同盟の成立
1873年、ドイツはオーストリアハンガリー帝国と軍事同盟を結びました。
さらに、東側の大国ロシア帝国も加わり、ヨーロッパの三大国による強力な軍事同盟「三帝同盟」が出来上がりました。
しかし、この同盟は長続きせず、1877年にロシアがオスマン帝国に戦争を仕掛けたことで崩壊しました。
1882年には、ドイツ、オーストリアハンガリー、イタリア王国の三国による「三国同盟」が成立しました。
一方、これに対抗するためにフランスとロシアが軍事協定を結びました。これにより、ヨーロッパはいつ戦争が起こってもおかしくない緊張状態に突入しました。
イギリスの参入と三国協商の成立
20世紀に入ると、フランスはイタリアとの関係を修復し、1904年にはイギリスと手を組みました。
さらに1907年にはロシアとも手を組み、フランス、ロシア、イギリスの「三国協商」が成立しました。
こうして、ヨーロッパの主要な国々が二つの陣営に分かれました。
サラエボ事件と戦争の勃発
1914年6月28日、オーストリアハンガリー帝国のサラエボで皇太子夫妻がセルビアの青年たちに襲撃される「サラエボ事件」が発生しました。
この事件をきっかけに、オーストリアハンガリー帝国はセルビアに対して攻撃を開始しました。
この攻撃を受け、ロシア帝国がセルビアに援軍を送り、さらにドイツ帝国がロシアに宣戦布告しました。その後、フランス、イギリスも参戦し、ヨーロッパ全体を巻き込む大戦争へと発展していきました。
第一次世界大戦の戦況とその後
第一次世界大戦では、重機関銃や毒ガス、戦車、戦闘機などの最新兵器が大量に導入されました。
戦線は膠着状態が続き、犠牲者が増え続けました。1917年にはアメリカが連合国側で参戦し、戦況は連合国側優勢へと傾きました。
1918年11月11日、ドイツ帝国が連合国と休戦協定を結び、戦争は終結しました。
その後、連合国とドイツの間でベルサイユ条約が締結されましたが、この条約はドイツに対して非常に厳しいものでした。
戦争の影響と教訓
第一次世界大戦は1600万人以上の犠牲者を出し、莫大な戦費が使われました。
戦勝国である連合国も多くの犠牲を払い、戦争は両陣営にとって悲惨なものでした。
この戦争の教訓から、世界は平和への道を模索しましたが、その後わずか20年後に再び地獄のような第二次世界大戦へと向かうことになりました。
結び
第一次世界大戦の背景と経緯を理解することは、現代の平和を考える上で非常に重要です。この戦争の悲惨さを忘れず、二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることが、私たちの使命です。
コメント