狂騒と悲劇のウォール街大暴落【バブル解説】世界恐慌

世界恐慌について解説した動画です。
何故1920年代終わりにアメリカ発の世界恐慌が起きたのか?について詳しく掘り下げます。

目次

世界恐慌の前の背景

  • 第一次世界大戦後のドイツの経済状況: 第一次世界大戦後のドイツは、損害賠償として当時の国民総所得の2.5倍にあたる1320億マルクを支払う義務を負いました。これにより、ドイツ経済は大きな打撃を受けます。
  • アメリカ経済の発展: 一方で、アメリカは第一次世界大戦時からヨーロッパへの供給国となり、工業生産が飛躍的に発展しました。1920年には都市人口が農村人口を上回り、都市化と工業化が進んだのです。

フロリダの土地ブーム

1920年代のアメリカでは、所得水準の向上と交通網の発達により、フロリダ州への土地ブームが起こりました。

1920年の人口は96万人でしたが、10年間で50万人も増加し、土地価格は天井知らずに高騰しました。しかし、これは後にバブルが弾ける大きな要因となります。

株式市場の過熱

1920年代のアメリカ株式市場は、大きく3つの要素により過熱しました。

生産能力の飛躍的増加

第一次世界大戦によるヨーロッパの荒廃は、アメリカに多くの市場と資源を提供しました。

戦時中の供給国としての役割が平時においても継続し、工業生産能力が急速に増加。これにより、アメリカは1920年代に「黄金時代」と称される経済成長を遂げました。

新技術と大量消費の波

自動車、電話、ラジオなどの新技術が生活を変え、これらの商品に対する需要が高まりました。

特に自動車産業の象徴であるフォードのT型車は、流れ作業による大量生産により価格が大幅に下がり、一般の人々も購入可能に。消費者の購買力が増し、経済がさらに加熱しました。

信用取引の増加と投資信託の隆盛

投資家たちは株式市場での利益を見込み、信用取引を活発に行うようになりました。

これは、株を購入するために借り入れを行い、その株を担保とするという方法です。

また、投資信託も人気を博し、多くの一般投資家が株式市場に参入。信託は、複数の株や債券に分散投資することでリスクを管理し、個人投資家にはアクセスしにくい資産クラスへの投資機会を提供しました。

しかし、これらが過剰な流動性と楽観的な投資を生み出し、バブルの一因となったのです。

    これらの要因が組み合わさり、株価は実体経済の成長を大きく上回るペースで上昇しました。

    しかし、1929年に入ると、生産過剰、消費の飽和、信用取引の過剰な拡大などが露見し始め、最終的には同年10月の株式市場の大暴落、いわゆる「ブラック・サーズデー」へと繋がり、世界恐慌の引き金を引いたのです。

    世界恐慌の深刻化

    フロリダ不動産バブルの崩壊

    1920年代中盤にフロリダで起こった土地ブームは、1926年のハリケーンと不正行為が明るみに出たことで終焉を迎えました。

    これは信用の急速な冷却と不安感の拡大を引き起こし、全国的な経済への警告信号となりました。

    信用の収縮と株価の急落

    1929年、投資家たちの楽観的な見方が反転し始め、株式市場の過熱が問題視されるようになりました。

    信用の収縮と共に、株価は急激に下落し、10月24日(ブラック・サーズデー)には市場は大暴落を経験しました。

    銀行の危機と金融市場の崩壊

    株価の暴落により、多くの銀行が貸し出しで損失を抱え、倒産し始めました。

    これにより、銀行への信頼が失墜し、「バンクラン(銀行預金の引き出しラッシュ)」が起こりました。

    不況の深刻化

    企業の倒産が増加し、失業率が上昇。

    消費が減少し、更なる企業の業績悪化と失業の悪循環が生まれました。さらに、これが世界的な経済危機へと波及しました。

    政府の対応

    当初のフーバー政権は、市場主義的アプローチを採り、介入を控えました。

    しかし、経済状況の悪化に伴い、後にルーズベルト政権の下でニューディール政策が採用され、大規模な経済介入が始まりました。

    世界恐慌について知っておきたい知識

    • 信用取引:投資家が実際の資金以上に株式などを購入するために、証券会社からお金を借りて行う取引。価格変動リスクが高く、株価が下がると差額を証券会社に支払う必要が出る。
    • 投資信託:投資家から集めた資金をプールし、その資金で株式や債券などに投資を行う金融商品。複数の資産に分散投資をすることでリスクを低減できる。
    • ブローカーズローン:株式の購入資金として証券会社が投資家に貸し出すお金。1920年代のアメリカでは、これが過剰に行われたことが市場の過熱を招いた。
    • バブル:資産価格がその資産の実質的価値を大きく上回る状態。過剰な投機により形成され、最終的には価格が崩壊する。
    • バンクラン:多数の預金者が不安から自分の預金を引き出そうとして銀行に殺到すること。銀行が現金を用意できず、倒産に至ることがある。
    • ニューディール政策:1930年代のアメリカで行われた、フランクリン・D・ルーズベルト大統領による一連の経済政策。大恐慌からの回復と経済改革を目指した。
    • 連邦準備銀行(FRB):アメリカの中央銀行システム。金融政策を通じて経済を安定させることを目的とする。
    • 金本位制:貨幣の価値を金に固定し、通貨発行量を金の保有量に基づいて制限する制度。1920年代には多くの国がこの制度を採用していた。

    Q&A集

    なぜ1920年代のアメリカ経済は「黄金時代」と呼ばれたのですか?

    第一次世界大戦後の復興需要と技術革新によってアメリカの工業が飛躍的に成長し、大量生産と大量消費のサイクルが確立されました。これにより、経済全体が繁栄し、「黄金時代」と称されるほどの豊かさを実現しました。

    信用取引が経済にどのような影響を与えたのですか?

    信用取引により、投資家は実際の資金以上の株式を購入することができ、これが市場の投機を過熱させました。しかし、株価が下落すると多額の損失を被るリスクもあり、1929年の株価暴落時には多くの投資家が破産しました。

    フロリダ不動産バブルはどのようにして崩壊したのですか?

    1920年代のフロリダでは、不動産価格が異常に高騰しましたが、不正行為が発覚し、1926年のハリケーンが土地価値を暴落させたことでバブルが崩壊しました。この崩壊は、全国的な経済の信頼性への疑問を投げかけることになりました。

    世界恐慌が世界的に広がる主な原因は何でしたか?

    1929年の株価暴落によるアメリカ経済の混乱がトリガーとなり、銀行の連鎖倒産、生産の過剰、消費の落ち込みが世界的な貿易と経済に影響を及ぼしました。これにより、経済危機は世界恐慌へと発展しました。

    ニューディール政策とはどのようなものでしたか?

    ニューディール政策は、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が大恐慌からの回復と経済改革を目指して1930年代に実施した一連の政策です。公共事業の拡大、金融改革、社会保障の導入などを通じて、経済の再生と社会の安定を図りました。

    大恐慌を経てアメリカ経済はどのように回復しましたか?

    ニューディール政策による政府の積極的な経済介入と、第二次世界大戦に伴う軍需生産の増大が経済の回復を促しました。戦争終結後は、戦争で蓄積された資本と技術を活用し、持続的な経済成長が達成されました。

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