なぜ金融市場の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか?ソロス・タレブ・バフェットに学ぶ「生き残る投資」の本質

本記事は、YouTube動画『なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか?』の内容を基に構成しています。

株価が短期間で大きく上昇する相場では、多くの投資家が利益を得ているように見えます。しかし、同じ銘柄が一時的に約10倍まで上昇した局面であっても、その後の急落によって大きな損失を抱え、市場から退場する投資家は少なくありません。

こうした投資家に足りなかったものは、企業分析の知識なのでしょうか。それとも情報収集の量や投資に費やした努力なのでしょうか。

動画では、そのいずれでもなく、もっと根本にある「金融市場と向き合う際の前提」が不足していたのではないかと指摘しています。

今回取り上げられたのは、金木健氏の著書『なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか 共容としての金融市場』です。本書は、銘柄選びやチャート分析といった具体的な投資手法を紹介するノウハウ本ではありません。

ジョージ・ソロス、ナシーム・ニコラス・タレブ、ウォーレン・バフェットなど、時代も投資手法も異なる人物が、なぜ長期間にわたって市場から消えずにいられたのかを考察する投資哲学の本です。

市場を当てることよりも、市場に裏切られても生き残ることを重視する。そのために必要な考え方を、文化、宗教、歴史、国家、金融システムなどの幅広い視点から掘り下げています。

目次

投資家が市場から退場する理由は知識不足ではない

本書の大きな主張の1つは、日本人が投資で迷いやすい原因は、単純な知識不足ではないということです。

もちろん、投資を始めるうえで最低限の知識は必要です。株式、債券、投資信託、信用取引、レバレッジなどの仕組みを理解していなければ、知らないうちに過大なリスクを背負う可能性があります。

しかし、十分に勉強している投資家であっても、損切りができなくなったり、相場の上昇に熱狂して過大なポジションを取ったりすることがあります。

投資経験が長く、分析能力も高い人が、大きな損失を出して市場から退場することも珍しくありません。つまり、知識の量だけでは投資家の生存を説明できないのです。

本書では、日本人が育ってきた文化や社会的な価値観が、金融市場における判断に影響していると考えます。日常社会では望ましい考え方であっても、それを匿名性の高い金融市場へそのまま持ち込むと、判断を誤る原因になる可能性があります。

ジョージ・ソロスは自分の理論を疑い続けた

本書の第1章では、「イングランド銀行を打ち負かした男」と呼ばれるジョージ・ソロスが取り上げられています。

一般的な投資家は、何らかの理論や根拠をもとに投資判断を行います。

「この会社は今後も成長する」「この業界には大きな需要がある」「現在の株価は企業価値に対して割安である」といった考えを組み立て、その理論に基づいて株式を購入します。

投資の根拠を持つこと自体は、決して悪いことではありません。問題は、その理論が現実と合わなくなった後も手放せないことです。

ソロスは、金融市場を自分の理論が正しいかどうか証明する場所だとは考えていなかったといいます。むしろ、自分や市場参加者の認識がどのように変化し、それによって市場そのものがどう変質していくかを観察する場所として捉えていました。

理論は守るものではなく壊れる瞬間を見張るもの

多くの投資家は、1度構築した投資理論にしがみついてしまいます。実際の値動きが予想と異なっていても、なかなか理論を手放せません。

その理由は、理論を捨てることが、自分の心理的なよりどころを失うことにつながるからです。

しかし、投資理論は絶対に守らなければならないものではありません。市場環境が変化すれば、それまで機能していた考え方が通用しなくなることもあります。

したがって、理論は守り抜く対象ではなく、どの段階で壊れるのかを見張る対象になります。

ソロスは、自分の認識や理論を常に疑っていたとされます。「自分は間違っているかもしれない」「自分が信じている前提は、すでに変化しているかもしれない」という考えを、自分の理論よりも上位に置いていたのです。

そして、何かがおかしいと感じたときには、その理由を明確に言語化できなくてもポジションを縮小しました。

これは分析を放棄したという意味ではありません。自分の分析を絶対視せず、現実の変化を優先したということです。

損切りできない人が本当に握っているもの

投資では、「損切りができない」という悩みが頻繁に語られます。

買った株が値下がりしても売ることができず、「そのうち戻るだろう」と保有し続けてしまいます。その結果、当初は小さかった損失が拡大し、最終的に耐えられない規模になってから売却するケースがあります。

本書の視点に立つと、このとき投資家が握っているのは、単なる株式のポジションではありません。「この銘柄を選んだ自分は正しい」という理論や物語を握っているのです。

「この会社を買っておけば大丈夫なはずだ」

「現在の株価は絶対に割安なはずだ」

「いずれ市場の方が、この企業の本当の価値に気づくはずだ」

このような物語を信じていると、損切りは単に損失を確定する行為ではなくなります。自分が信じてきた物語を終わらせ、自分の判断が間違っていた可能性を認める行為になります。

そのため、損切りが心理的に難しくなるのです。

しかし、金融市場は投資家の努力や誠実さを考慮してくれません。どれほど時間をかけて分析しても、市場がその結論に従う保証はありません。市場の中に、個々の投資家の問いや事情に答えてくれる主体は存在しないからです。

金融システムは個人投資家のために作られていない

本書の第2章では、「金融システムはあなたのために作られていない」という厳しい現実が語られます。

金融市場には、銀行、証券会社、機関投資家、個人投資家、中央銀行、政府など、さまざまな主体が参加しています。そのなかで国家も重要な存在ですが、国家は特定の個人を利益に導くために存在しているわけではありません。

国家が最優先するのは、国家というシステムの存続です。

個人は国家から常に守られる存在でもなければ、意図的に切り捨てられる存在でもありません。巨大な制度やシステムの中に組み込まれた1つの主体にすぎないというのが、本書の見方です。

この認識は、国家を敵と見なして被害者意識を抱くこととも、国が最後には何とかしてくれると期待することとも異なります。

インフレで預金の価値が下がる理由

例えば、インフレによって物価が上昇すると、国家が抱える債務の実質的な負担は軽くなります。一方、現金や預金の購買力は低下します。

これは、国家が預金者に損失を与えることを目的にインフレを起こしているという単純な話ではありません。金融や財政の仕組みを維持しようとした結果、副産物として現金の実質価値が低下することがあるという話です。

しかし、国家に悪意がなかったとしても、預金者の購買力が落ちるという結果は変わりません。個人は、制度の目的だけでなく、その制度によって生じる副作用も考えなければなりません。

NISAは誰のための制度なのか

動画では、この考え方をNISAにも当てはめています。

NISAは、一定の条件内で投資によって得られた利益を非課税にできる制度です。個人が税制上の優遇を受けながら長期投資を行えるため、資産形成に有利な制度であることは間違いありません。

ただし、NISAは個人の利益だけを目的として作られたわけではありません。

国家側には、家計に滞留している預金を資本市場へ移したいという事情があります。また、少子高齢化が進むなか、公的な社会保障だけですべての国民の老後を支え続けることは難しくなっています。

そこで、個人にも市場を通じた資産形成を担ってもらう必要が生じます。

つまり、NISAは結果として個人を助ける制度である一方、国家の持続可能性を高めるための制度でもあります。

重要なのは、制度を疑って利用しないことではありません。国家を無条件に信頼したり敵視したりするのではなく、制度の目的と自分の利益が重なる部分を冷静に利用することです。

市場にも国家にも、個人の事情へ必ず応答してくれる存在はいません。この前提を理解することが、自立した投資判断の出発点になります。

日本の「三方よし」が金融市場では通用しにくい理由

日本には古くから「三方よし」という商業倫理があります。「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の3つがそろう商売を理想とする考え方です。

本書は、三方よしを否定しているわけではありません。むしろ、日本社会において非常に合理的で洗練された生存戦略だったと評価しています。

かつての商取引では、相手の顔が見え、同じ地域や共同体の中で取引が長く続きました。良い評判も悪い評判も人々の間で共有されます。

目先の利益を得るために取引相手をだませば、短期的には儲かるかもしれません。しかし、悪い評判が広がれば、次の商売ができなくなります。

また、売り手だけが利益を独占して買い手や地域社会が疲弊すれば、商売を継続するための基盤そのものが失われます。

そのため、売り手、買い手、世間の全員に利益がある状態を目指すことは、道徳的であると同時に合理的な戦略でもありました。

金融市場では取引相手の顔が見えない

ところが、金融市場では取引相手の顔が見えません。

自分が買った株式を売った相手が、個人投資家なのか、海外の機関投資家なのか、アルゴリズム取引を行うコンピューターなのかさえ分かりません。その相手と再び取引する保証もありません。

市場における取引の評価は、最終的に価格へ集約されます。買った後に株価が上がったのか、下がったのかという結果が残ります。

その企業を誠実に応援していたか、投資判断にどれほど努力を重ねたか、取引が世間にとって良いものだったかといった事情は、価格形成において直接考慮されません。

人間同士の共同体では重要な倫理観でも、それを匿名性と一回性の高い金融市場へそのまま持ち込むと、判断を誤る可能性があります。

本書によれば、日本人が投資で迷いやすい理由の1つは、顔の見える商売で培われた感覚のまま、顔の見えない金融市場に立っていることです。

人間社会で大切にすべき倫理と、金融市場で生き残るための規律は別のものです。どちらか一方が間違っているのではなく、両者を混同しないことが重要なのです。

富と人格を切り離すことが投資家を守る

日本には「成金」という言葉があります。

急に大きな財産を得た人が派手に振る舞うことに対して、どこか品がないと評価する言葉です。この言葉の存在は、日本では富の持ち方や使い方が、その人の人格と強く結びつけられていることを示しています。

富と人格が結びついていると、資産を失ったときに、単に口座残高が減っただけでは済まなくなります。自分の判断力や能力、さらには人間としての価値まで失われたように感じてしまいます。

本書では、この状態を富と人格の「癒着」と捉えています。

それに対して、ユダヤ・キリスト教的な世界には、富は自分が完全に所有するものではなく、「預かっているもの」だという感覚があると説明されています。

自分は富を自由に使い尽くす所有者ではなく、その管理を任された管理人だという考え方です。

「自分はお金の管理人である」という考え方

お金を預かって管理していると考えれば、利益が出たからといって自分が偉くなったわけではありません。反対に損失が出ても、自分の人格が劣ったわけではありません。

富と自我を切り離せれば、利益に酔いにくくなり、損失によって自我が崩壊することも防ぎやすくなります。

この考え方は、投資家のメンタル管理において非常に実用的です。

富と人格が癒着していると、含み損を人格への毀損のように感じます。損切りによって、自分の間違いだけでなく、自分の価値の低さまで確定してしまうような感覚に陥ります。

その結果、必要な損切りができなくなります。

反対に含み益が増えると、自分の能力や判断力まで高まったように錯覚します。そしてポジションを大きくしたり、過度な信用取引やレバレッジを使ったりしてしまいます。

投資で起こる過剰なリスクテイクは、必ずしも知識不足だけが原因ではありません。お金と自我が結びついた結果として起きることがあるのです。

本書から読み取れる重要なキーワードは、「あなたはお金の所有者ではなく管理人である」という考え方です。

管理人の仕事は、預かった資産を使って自分の優秀さを見せつけることではありません。資産を壊さず、できるだけ長く管理し続けることです。

資産額の差は人間としての価値の差ではない

投資をしていると、他人の資産額が気になることがあります。

SNSには「資産1億円を達成した」「短期間で数千万円を稼いだ」といった投稿が並びます。それらを見て、自分の資産が少ないことに焦りや劣等感を抱く人もいます。

しかし、お金を預かっているものと考えるなら、資産額の差は人間力の差ではありません。現時点で管理を任されている残高が違うだけです。

資産を数十億円持っている人が、数百万円を持っている人より人間として優れているとは限りません。反対に、資産が少ない人の人格や能力が劣っているとも限りません。

資産が増えても人間として偉くなるわけではなく、減ってもその人自身の価値が減るわけではありません。

この距離感を持てれば、他人と比較して焦る必要がなくなります。含み益によって自信過剰になったり、含み損によって自己否定に陥ったりすることも減らせます。

投資を長く続けるうえでは、資産額と自分自身の価値を切り離すことが重要になります。

金融市場には「空気を読む誰か」がいない

本書では、歴代の日銀総裁の発言や姿勢も取り上げています。

政策の方向性は総裁や時代によって異なりますが、その背景には共通した日本的な発想があるのではないかと指摘します。

それは、「市場も忍耐強く説明すれば理解してくれる」「丁寧に対話を続ければ、行き過ぎた動きは落ち着く」という期待です。

日本社会では、事前の根回しによって対立を避け、関係者の意見を調整し、場を穏やかにまとめる技術が発達してきました。顔の見える共同体では、「話せば分かる」という仕組みが一定程度機能します。

しかし、金融市場には場の空気を読み、値動きを適度なところで止めてくれる主体はいません。

「これほど下がれば、誰かが買うだろう」

「ここから先はさすがに売られすぎだろう」

「これ以上下落すれば大きな問題が起きるため、どこかが支えてくれるだろう」

このような期待を抱いても、市場がそれに応える保証はありません。下がりすぎたから自動的に止まるわけではなく、誰かが困るから適度な水準で反転するとも限りません。

FRBと日銀の「市場との対話」は何が違うのか

動画では、この点について独自の考察も加えられています。

中央銀行が市場と対話すること自体は、日本特有のものではありません。米国のFRBも声明や記者会見、フォワードガイダンスを通じて、市場参加者の期待に働きかけています。

そのため、「市場と対話する姿勢はすべて日本的な根回し文化である」と単純に整理することはできません。

両者の違いは、対話の前提にあると考えられます。

FRB型のコミュニケーションは、市場を直接支配したり説得したりすることはできないという前提に立ち、市場参加者の期待を管理しようとするものです。それでも市場が予想外の反応を示した場合には、その反応も材料にして政策を修正します。

一方、日本的な対話には、丁寧に説明して根回しをすれば、最終的には相手が空気を読んでくれるという暗黙の期待が入り込みやすいのではないかという指摘です。

市場を説得することはできないが、期待形成に一定の影響を与えることはできると考えるのか。それとも、市場を話せば分かる相手のように扱うのか。この前提の違いが重要になります。

約10倍になった大型株が短期間で半値になる現実

動画では、年初から一時約10倍まで上昇した大型銘柄が、その後約1カ月でほぼ半値になった事例も紹介されています。

注目すべきなのは、その間に企業業績が完全に崩壊したわけではないにもかかわらず、株価が大幅に下落したことです。

その背景の1つとして、信用取引の膨張が挙げられています。

上昇局面では信用買いが増え、信用倍率が一時22倍まで偏っていました。株価が上昇している間は、信用買いが新たな買いを呼び、さらなる株価上昇につながることがあります。

しかし、いったん下落が始まると、その構造は逆回転します。

含み損に耐えられなくなった投資家が売却し、追証を避けるための売りも出ます。その売りによって株価がさらに下落すると、別の投資家も売却を迫られます。こうして売りが売りを呼ぶ連鎖が発生します。

その過程で「ここまで下がれば、さすがに誰かが買うだろう」と期待しても、市場には空気を読む主体がいません。

投資家にとって割安に見える水準で、必ず下落が止まるとは限りません。市場内部に積み上がったポジションの解消が続けば、企業価値だけでは説明しにくい水準まで株価が下落することもあります。

だからこそ、「これ以上は下がらないはず」という期待ではなく、それ以上下がった場合にも生き残れるようにポジションを設計する必要があります。

金融市場への答えは3000年前から示されていた

予測不能な金融市場に対して、投資家はどのように備えるべきなのでしょうか。

本書では、その答えの原型が約3000年前から示されていたとして、旧約聖書に登場するヨセフの物語を紹介しています。

ヨセフは、豊作が7年続いた後に7年間の飢饉が訪れるという夢を解釈しました。そして、豊作の間に穀物を蓄え、飢饉が訪れたときに放出できる仕組みを作りました。

ここで重要なのは、ヨセフが夢占いによって未来予測を的中させたことではありません。

大切なのは、予測を具体的な行動計画へ変換したことです。

しかも、その計画は、予測が完全に当たらなかった場合でも簡単には破綻しないように設計されていました。豊作の期間に余剰を蓄えることは、飢饉が予想より遅く来ても、別の危機が発生しても役立ちます。

本書では、ヨセフが行ったことをリスクヘッジの原型として捉えています。

未来を当てるより複数の未来に耐えられる設計を作る

ヨセフの考え方は、現代の投資におけるレイ・ダリオの「オールウェザー・ポートフォリオ」にも通じます。

オールウェザーという言葉には、どのような天候にも耐えられるという意味があります。

投資に置き換えれば、好景気、景気後退、インフレ、デフレなど、どの環境が訪れるかを1つに決めつけず、複数のシナリオに耐えられる資産配分を作る考え方です。

景気が良くなると予測して、すべての資金を景気敏感株に投じれば、その予測が当たったときには大きな利益を得られるかもしれません。しかし、予測が外れたときには深刻な損失を受けます。

重要なのは、未来を正確に当てることではありません。どの未来が来ても資産全体が致命傷を負わないように準備することです。

レイ・ダリオが長い年月をかけて体系化した考え方の原型は、旧約聖書の時代から物語として伝えられていたと捉えることができます。

タレブが重視する「勝つことより消えないこと」

本書の第6章では、ナシーム・ニコラス・タレブが登場します。

タレブは、『ブラック・スワン』『反脆弱性』『まぐれ』などの著書で、予測不能な出来事と人間の認識の限界を論じてきました。

ブラック・スワンとは、事前にはほとんど予測されていなかったにもかかわらず、発生すると極めて大きな影響を与える出来事を指します。

金融市場では、過去のデータや一般的な予測からは想像しにくい事態が突然発生します。暴落、金融危機、戦争、パンデミック、企業破綻などが、その例です。

こうした出来事を毎回正確に予測することは困難です。

そこでタレブが重視するのは、予測不能な世界で最大の利益を得ることよりも、何が起きても市場から消えずに残ることです。

1度の失敗ですべてを失うような設計を避け、予想外の出来事が発生しても再び挑戦できる状態を保つことが重要になります。

バフェットとマンガーは難しいハードルを選ばない

第7章では、ウォーレン・バフェットが取り上げられています。

バフェットは長期間にわたって優れた投資成績を残し、世界を代表する投資家になりました。しかし、常にその年の最高成績を記録してきたわけではありません。

市場が投機的に上昇する局面では、バフェットの成績が市場平均を下回ることもありました。それでも長期間にわたって市場に残り、複利によって資産を増やし続けました。

バフェットは、投資に必要なIQは極端に高くなくてもよいという趣旨の発言をしています。市場で最後まで生き残るのは、必ずしも最も頭の良い人ではありません。

バフェットとチャーリー・マンガーが重視したのは、難しい取引を成功させて賢さを証明することではありませんでした。簡単に飛び越えられるハードルを探し、理解できる範囲で投資することでした。

高度で複雑な投資を行い、他人から賢いと思われる必要はありません。明確に理解できる機会が訪れるまで待ち、失敗する可能性が高い案件を避けることが重要です。

投資家の自尊心が破滅的な損失を生む

損切りを難しくするのは、ポジションへの執着だけではありません。自尊心への執着も問題を引き起こします。

「自分の判断は正しいと証明したい」

「市場に負けたことを認めたくない」

「ここで売った後に株価が戻ったら、自分が間違っていたことになる」

このような気持ちが強くなると、投資判断の目的が資産を守ることから、自分の正しさを証明することへ変わってしまいます。

しかし、金融市場に対して自分の優秀さを証明しようとすると、どこかで破滅的なリスクを取る可能性があります。含み損になってもポジションを増やし、レバレッジを高め、後戻りできない状態に陥ることがあるためです。

一方、「勝つこと」より「消えないこと」を重視すれば、投資判断から余計な自尊心を外しやすくなります。

間違いを認めて損切りすることは敗北ではありません。次の機会に参加するための資金を守る行為です。

投資で重要なのは未来予測ではなく「幅」を持つこと

本書に登場するヨセフ、タレブ、バフェットに共通しているのは、1つの未来を絶対視しない姿勢です。

投資家は、今後の景気、金利、為替、企業業績、株価を予測します。しかし、どれほど丁寧に分析しても、未来を完全に見通すことはできません。

そこで必要になるのが、予測に「幅」を持たせることです。

強気のシナリオだけでなく、横ばいのシナリオや弱気のシナリオも考えます。そして、最悪の事態が起きた場合に、自分の資産がどの程度減少するのかを事前に確認します。

大切なのは、最悪の事態を正確に予測することではありません。想定を超える事態が起きたときにも、致命傷を負わない設計を作ることです。

1つの銘柄や1つの未来にすべてを賭けず、資産を分散し、余裕資金を残し、過度なレバレッジを避けることが基本になります。

なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか

動画の冒頭で投げかけられたのは、「なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか」という問いでした。

その答えは、彼らだけが特別な情報を持っていたからでも、常に未来を正確に予測できたからでもありません。

世界は思い通りにならず、金融市場はいつでも自分の予想を裏切るという前提を持ち続けたからです。

市場で生き残るのは、いつも相場を当てる人ではありません。自分の理論に市場が従うと信じ込む人でもありません。

市場がどのような裏切りを見せても崩壊しないように資産を蓄え、分散し、リスクを管理した人が長く残ります。そして、長く残った人だけが複利の恩恵を受け、最終的に大きな勝者になります。

金融市場の勝者がいつも同じ顔ぶれに見えるのは、短期的に最も大きく勝った人が残っているからではありません。致命的な失敗を避け、何度も訪れる危機を乗り越えた人が残っているからです。

まとめ

『なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか 共容としての金融市場』は、具体的な銘柄選びや売買手法を紹介する本ではありません。

本書が扱っているのは、投資に入る前の段階にある「金融市場をどのような場所だと考えるのか」という根本的な問題です。

金融市場には、個人の努力や誠実さを評価してくれる主体はいません。国家も個人の敵や味方として存在するのではなく、国家自身の存続を目的に動いています。個人投資家は、その巨大なシステムに組み込まれた1つの主体です。

また、顔の見える共同体で培われた「三方よし」や「話せば分かる」という感覚は、人間社会では重要である一方、匿名性の高い金融市場ではそのまま機能しないことがあります。市場には空気を読み、適度な水準で値動きを止めてくれる誰かはいません。

だからこそ、投資家は自分の理論を絶対視せず、理論が壊れる可能性を見張る必要があります。

同時に、資産額と人格を切り離すことも重要です。お金は自分の優秀さを示す道具ではなく、管理を任されているものだと考えれば、利益による自信過剰や損失による自己否定を防ぎやすくなります。

未来を正確に見通すことより、複数の未来に耐えられる幅を持つこと。大きく勝つ方法を探すことより、最悪の事態が起きても市場から退場しない設計を作ること。この姿勢が、ソロス、タレブ、バフェットなどの長期的な勝者に共通しています。

投資の本質は、自分の正しさを市場に証明することではありません。市場が間違っているように見えるときも、自分の予測が外れたときも、資産を完全に失わず、次の機会まで生き残ることです。

金融市場で最後に勝者となるのは、最も派手に勝った人ではなく、どのような環境でも消えずに残り続けた人なのです。

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